日本一大きいお城と言えば、誰しも「江戸城」と言うほど

江戸城は、その大きさを誇ります。

 

一般的な天守を指してお城と呼ぶ場合は、

実際には江戸城に天守が残っていないので、

名前が出ることはあまりありませんが、

本来の意味でのお城ならば江戸城をおいてほかにないと思います。

 

今ある天守の大きさということで言えば、大阪城が一番大きいお城と

言えますし、城郭としてもかなりの規模ですが、

やはり江戸城には敵いません。

 

城郭で唯一対抗できそうなのは名古屋城の惣構えだと思いますが、

これも計画はあったものの、途中で建設が中止されて

未完成のままなので除くことになります。

 

ということで、日本一大きいお城として

「江戸城」に触れていきたいと思います。

 

江戸城とは?

 

 

江戸城は扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)氏の重臣、

太田道灌(おおたどうかん)が築いたとされていますが、

実は築城当時の江戸城はとても小さいものでした。

 

豊臣秀吉が北条家を滅ぼし、徳川家康が関東に移封となってから

徐々にその規模が大きくなっていきます。

 

さらに関ケ原を経て徳川家康が天下を手中に収めると、

将軍の居城としてより大きく、堅固に、そして豪華になっていきました。

 

惣構えと呼ばれる外濠まで含めた範囲は、

都営大江戸線の輪になっている部分がほとんど収まるほど

大きな城郭だと言われています。

 

最終的な大きさは南北約3.5キロメートル、

東西約5キロメートルなので、現在の千代田区全域を超える広さです。

その広大な範囲が城として機能を持っていました。

 

参考までに言うと、一般的な大名のお城は

500メートル四方と言われているので、

その70~100倍の規模ということになるようで、

まさにケタ違い、驚愕の大きさです。

 

もちろん、日本史上最大の城郭ということになりますが、

いくら天下人のお城だとしても、規格外だったことが分かります。

 

内郭も外濠同様に広大でした。

 

江戸城跡としてかなりの広さを持つ皇居も、お城の中心部とされる

内郭の全てではありません。

 

江戸城内郭には巨大天守、本丸御殿などはもちろんのこと、

三重櫓6棟、二重櫓10棟など多数の櫓が配されており、

戦う城として設計されていたお城でした。

 

 

江戸城天守

 

 

江戸城の天守は現在残っておりませんが、

家康、秀忠、家光によって建てられた三つの天守を持っていました。

 

まず、秀吉の死後、家康が権力を天下に示すように

1607年に建てた慶長天守。

 

これはそれまでの天下人秀吉が建てた黒と金色の大阪城の時代を

否定するかのように、趣が真逆の真っ白な天守でした。

 

家康の息子、秀忠が慶長天守を解体し、場所を移して

1623年に建てたのが元和天守。

 

さらに1637年に家光が建てた寛永天守を加えて、

三天守と呼ばれています。

 

寛永天守は、その大きさで元和天守を上回り、

日本最大の天守でしたが1657年完成からわずか20年後の

「明暦の大火」で焼けてしまいました。

 

そして、そこから現在に至るまで江戸城の天守が再建されることは、

二度とありませんでした。

 

なぜ再建されなかったのか?

 

焼失した当初は再建の予定があり、天守台の普請(工事)を

加賀藩主・前田綱紀に命じて造らせています。

 

これは今も東御苑に残る天守台なのですが、土台が完成し

いざ天守を築く段になった時に、当時実質的に政治を担っていた

保科正之が待ったをかけたのです。

 

「天守はもはや無用の長物」

 

保科正之がそう主張した理由として、天守というのは

倉庫などに使うことはありましたが、基本的な役割としては

権力や軍事力を誇示するというものでした。

 

徳川幕府が始まって4代目になり、天下泰平の世がやってきていた

このタイミングで、天守をあげる理由と意味が無くなっていたのです。

 

それよりも燃えてしまった城下の復興を優先しようという決断でした。

 

この一連の出来事は、武力による統治から法や制度によって

統治する時代へと移ったことを象徴していると言えます。

 

そして、それ以降天守が再建されなかったという事実は、

いかに江戸時代が戦いのない平和な時代だったか?

を示していると思います。

 

 

今後、復活する予定は?

 

 

「江戸城天守を再建する会」というNPO法人があるのをご存知でしょうか?

 

この再建する会も、先ほど紹介した

「今は再建の時ではない」という保科正之の英断を支持しています。

 

その上でこう言っています。

 

「360年経ち、日本が安定した今、再建の時ではないだろうか?」

 

日本は観光立国を掲げていますし、海外にも人気がある

江戸文化の象徴としての江戸城天守再建です。

 

当初は2020年東京オリンピックに合わせた再建を目指していたようですが、

それは少し難しそうです。

 

本当に再建されるのかも分かりません。

 

しかし、「力の象徴」だった天守が、戦いのない平和がきたことで無用になり、

平和が続いたその先の現代に、今度は「文化の象徴」として

求められているというのは、戦国、江戸時代を生きた人々が

真に望んでいたもの。

 

持っていたが叶わなかったという思い、

そのようなものをみんなで受け継いできたのかもしれません。

 

 

まとめ

江戸城には天守ひとつとってもエピソードは沢山ありますし、

思い入れのある人、団体、沢山の思いがあります。

 

この規模のお城ですので、まだまだ至る所に発見や不思議が

詰まっていると思います。

 

日本最大の巨大城郭「江戸城」

 

みなさんも機会があれば探訪してみてください。

その大きさ、懐の深さで出迎えてくれることと思います。