「日本のお城の数」とひとくちに言ってもパッと具体的な数字を
出すことは実は難しいと言われています。
お城という言葉自体に幅があり、どれをお城とするかが
人によって別れるということと、何を指してお城と呼ぶかの定義も
曖昧なことからきています。
日本に存在したお城の数は、およそ2万5千もあったと言われています。
一般的にお城といえば天守があるものだと思われていますが、
実際には砦や土塁。堀、石垣で囲まれた寺、神社なども含まれることも
あります。
さらに、柵で囲っただけのものでも砦とするかどうかなど、
どこまでを城として数えるかによってかなり変わってきてしまいます。
細かい物も含めると4万~5万あったという説もあるほどです。
そして、その中でもいわゆるお城と呼ばれている
戦国期~江戸初期に造られたお城は、その半世紀ほどの期間で
3000近くが乱立したと言われています。
この事実だけでも、日本には権力の象徴とも言える
沢山のお城が存在したことが分かります。
では、存在したお城の数は膨大ですが、現在建っている、
見ることができる数はどのくらいあるのでしょうか。
ご紹介したいと思います。
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現在も残っているお城
先ほども出たように、築城史上最盛期だった
戦国~江戸初期に無数に造られたお城ですが、
徳川幕府の統治が始まると、有名な「一国一城令」によって
一気に170城まで整理されました。
ここで本当に沢山の城が廃城することになり、
そのまま明治維新まで至ることになります。
そして明治6年の「廃城令」でさらに3分の2のお城が破却されます。
その後も太平洋戦争や第二次大戦、失火などによって
相当数のお城が無くなりました。
今では築城された当時のまま現存しているお城、
いわゆる現存天守は12しかありません。
しかしその後、郷土や地元市民の象徴として焼失した天守や櫓、
城門などを再建する動きが盛んに進められるようになります。
結果、再建・復興して見ることができるお城の数は
約100か所になりました。
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現存するお城のうちわけ
・現存天守12城(姫路城・松本城など)
・当時の設計通りに建て直した復元天守14城
(名古屋城・熊本城など)
・当時とは異なる天守を再建した復興天守14城
(大阪城・小田原城など)
・場所の変更や、天守を造り足すなどした模擬天守51城
(清州城・今治城など)
この4種類となっています。
建物として天守があるお城は上記の数91城になりますが、
日本100名城などには石垣のみの城や、縄張りの跡など
城郭の一部を残すだけのものも選ばれています。
上杉謙信の本拠地「春日山城」や、
日本のマチュピチュと呼ばれる「竹田城」などがその代表ですが、
上物の天守がなくてもやはり「お城」と呼びたい気もします。
そのような石垣だけなどでも整備されたお城を含めると、
一般的に見学できるお城の数は、約200城くらいになると言われています。
一般的に「現在見ることができる日本のお城の数」として約100城、
「行くことができるお城の数」として約200城と言えるのではないでしょうか。
始めの方でも書きましたが、それでもやはりお城というのは
何をもってそう呼ぶかが様々です。
「〇〇城跡」という石碑だけのお城でもある人にとっては
興味深い城跡、史跡ということもあると思います。
天守など建造物がなくても、そこから見える景色や香り、
風などを通して、当時の様子や歴史を感じたなら、
やはりその場所は、広義の意味では「お城がある場所」
なのかなとも思います。
数百年前のものなので、古い書物や資料などに
頼らざるをえないということもあり、あったのかなかったのか?
はっきりしないお城というのもあります。
どこからどこまでがお城の範囲だったのかも
ちゃんと把握できていないものなどもありますが、
その曖昧さや、分からないというところもお城の魅力のひとつだと思います。
そしてその魅力の数が、イコールお城の数ということかもしれません。
有名な観光スポットになっているお城や、人知れずひっそり佇むお城など
様々あります。
建築物としてその大きさや美しさを見るのも楽しいと思いますし、
歴史ロマン探訪として、少ししか残されていないものから
想像するのも面白いと思います。
まとめ
現在で約200残されているお城。
今から増えることは恐らくほぼありません。
どうしても減っていくものだと思います。
なので、まずは200のうちの1つだけでも、
お城体験をしに足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?
2万5千以上あったお城です。
もしかしたら、あなたの住んでいる場所のすぐ近くに
お城があったということもあるかもしれません。
ちょっと調べてみたら、素敵な出会いがあるかもしれませんよ。
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宮城県岩沼市の家近所に鑿崎神社という城があり、お城山と親しんでいました。JR岩沼駅前にお城山といって岩沼市民に知らない人はいません。70年ぶりにJR岩沼市駅前に行ってみたらすっかりなくなってました。更地になり宅地開発が推進してます。ガッカリです。
高橋さま
コメントありがとうございます。
それはガッカリなされましたね。
ふるさとの風景が変わってしまうって、その風景に郷愁を感じる全ての人にとって寂しいと感じますよね。
僕の田舎の埼玉県加須市にも小さなお城があるのですが、いつまでも残っていてほしきと、たまにしか帰らない身ながら勝手に願ってやみません。
日本の古城、天守が有る城だけがお城では有りません。松江城は国宝に認定されましたが、自分が生まれ育った故郷(松江市八雲町熊野)には『熊野城』という山城が有ります。戦国時代の「毛利」と「尼子」の戦いの時代に「尼子十旗」の一人、熊野氏が治めていた城です。子供のころはその山城跡(名前:要害山、海抜300m位)に良く登って遊んでいました。山の頂上付近は、雛壇状に山が整地され井戸の跡等が確認できます。周囲360度で展望でき、島根半島などが見渡せます。『熊野城』跡地は、平成25年8月頃から地元の有志やくにびき学園(リタイヤされた方々の島根県が元締めの学校)の生徒さんのボランティアで登山道(約800m)が整備され、登りやすくなりました。登山道の途中に小生のタケノコ山が有り、整備される前までは毎年、鎌やチェンソー、鍬などで山道を治しながら登っていましたが、整備のお陰でずいぶん楽になりました。筍を掘っている時に登って来られる方に出会います。登山には途中で少し急な所も有りますが、30分位で登れます。
神庭さまへ
地元ならではのコメントありがとうございました。
やはり中々地場の方でないとわからない部分がありますね、参考になりました。
また何かありましたら、色々とご教授いただければ幸いです。
ありがとうございました。